泣きたくなる景色、ってないですか。
それはある人にとってはコンクリートの土手かもしれないし、ある人にとっては、今はなき集合住宅の一角にあった小さなスーパーかもしれない。
自分に関していえば、小さい頃に父の仕事についていった時の、油染みのある砂利が敷かれた駐車場とその端にあったアイスクリームの自販機だったり、
母がバスで連れて行ってくれた町中の映画館や、ドラえもんのおまけや、寒い日に何気なく買ってくれた子供用のコート、それらが宝石のように散りばめられた景色を、まるで追体験するように思い出すことがあります。
柄にもなく感傷的な書き出しになりましたが、この写真を撮った時にふとそのようなことを思ったのです。

別にありふれた田舎の景色といえばその通りです。
上の秋桜の写真も同じ場所ですが、秋桜だってこの時期日本全国で咲いているでしょう。
冒頭で挙げた情景にしたって、個々のシーンを切り取ってみれば別に何の変哲もないものです。ありふれた集合住宅、ありふれたスーパー、どこにでもある駐車場、だれにでも配られるおまけ。
それが自分にとっては宝石のような価値があるものであり、それが自分にとっては泣きたくなる景色であるということに「理由」はありません。
なぜこんなことを考えたかと言うと、その「理由のない美しさ」みたいなものを、今一度見つめ直してみたいなと思ったのです。
私はこのありふれた田舎の景色が、ただ「美しい」ということを忘れずにいたいなと思います。